生活経済ジャーナリストあんびるの  「あんびる〜ばぼ〜日記」

相変わらず日常はアンビリーバボーなことばかり! 「子供のお金教育を考える会」代表のあんびるが感じた ちょっと驚きの日常を気ままにご紹介します…。

2005年12月

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クリスマスが終わって、街中はすっかりお正月。
我が家だけはまだツリーがあって、
クリスマス気分が続いております(笑)。

今年は、娘がキリスト教の幼稚園で
迎えた最初のクリスマス。
25日には、クリスマス礼拝に参加しました。
園長先生のお話は「与える愛」。
そういえば、今の子ども達は
ひたすら「与えられる」ことが多いものです。
クリスマスプレゼントはもちろん、
身の回りの支度さえも親にしてもらい
「与えられる」側。
塾などの教育環境も整えてもらい
「与えられる」。
「与える」はずの
家族としてのお手伝いも
お小遣いがもらえないとしない始末です。

我が家ではクリスマスに
“親の願い”をこめた本を子どもたちに送るのが
恒例になっていますが、今年選んだ本は
息子に野口英世の伝記、
娘には「てんしのはな」(サンパウロ刊)
という絵本でした。
「てんしのはな」は、目が見えなくなった少女が
「与える愛」に気付くことによって
再生していく物語です。
くしくも園長先生と同じ「与える愛」が
今回の子どもたちへの“親の願い”でした。

大学時代、学校が休みの日に
家の近くでバイトでも…と思って
近所の塾の講師に応募したところ
「大学生であるキミは、地域の財産なのだから
ぜひ地域に還元して欲しい」といわれました。
意外な言葉でした。
今の大学生と同じように
「自己評価の低い私でしたから
「財産」だなんて…驚きでした。
自分に「与えるもの」があるという気付きは、
大きな自信と、それからひいては
職業観も育てていくのではないでしょうか。
クリスマスに「与える愛」について考えることは
今の時代、とても大きな収穫を
もたらしてくれるような気がするのです。

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クリスマスを前に、
いろいろ子ども関係の行事が目白押し。
校正やら入稿やらといった
締め切りが直近の仕事はともかく
それ以外はどうも先送りの日々。
仕事しなくちゃー、とは思うものの
まあ、今年一年、よく働いたし
最後の一ヶ月は、大好きな家族と共に
過ごせるようにとの神様からの
贈り物かも知れないと
腹をくくった次第です。

で、家族のとの時間の中で
ヒートアップしているのが
息子との対決。
といっても力ずくでの対決ではなく
脳力プリントでの対決なのです。
久しぶりに立ち寄った書店で
驚いたのが、子ども・大人問わない
「脳力ブーム」。
雇用が不安定な世相と、
高齢化社会を健康に生きるといった
全日本人共通のテーマを反映してか、
この手のドリルだの、ノウハウ本がたくさん
用意されているのです。
さっそく、その中から楽しげなものを
一冊ゲット。
コピーして、息子と対決しています。
相手は所詮小2とあなどっていたら、
なんと、ある分野に入ったとたん
私は完敗するはめに!
あーあ、あの激痛の出産からはや8年。
もはやその子に負ける日が来たわけです。
それはそれはショック…。
くやしいけれど、
でもどこかうれしいような…。
複雑な気分。
あと2〜3年で身長も抜かれて
毎日、「負け」を実感させられるんだろうな。

息子はすっかり気をよくして
その後、毎日戦いを挑んでくる。
おかげで私の脳はすっかり若返り。
アレガネーゼから脱却しつつあります。
私だってまだまだ。
年内で脳をリフレッシュして
新年、またがんばるどー!

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仕事も年内残すところ
雑誌の校正と入稿3本のみ。
昨日はゆったり気分で、
東京都美術館で開催されている
「プーシキン美術館展」を
家族で見に行ってきました。
実は島根県に講演にうかがったとき、
出来たばかりの「グラントワ」という美術館を
ご案内いただき、とても感動したので
子どもにも、ぜひ「本物」を見せてあげたい
と機会をうかがっていたのです。

といっても私自身も、
そしてスーパー編集長である夫も
美術に造詣が深いわけではなく…。
私なんぞは、お恥ずかしながら大学の卒業旅行で
初めて美術館を訪れたわけで。
人生最初に訪れた美術館がウフィッイ美術館。
2番目がルーブルで、3番目がプラド美術館…。
なんだかすごいんだか、すごくないんだか…(笑)。

そんな私ですから、美術館が我が家の徒歩圏内に
あるにもかかわらず、家族でこれまで
行ったこともなかったわけです。
今回は、子どもたちにはすごく
特別なことをしている!という気持ちで
行ったのですが。
会場には子供がたくさん。
それに子供用のイヤホンまで用意されていて
解説を聞くことができ、驚きです。
時代は変わったなあ、なんて感動しつつも、
親たるもの、
解説イヤホンにお任せでなく
なんかカッコイイことを言わなければ…と、
モネの絵を前に「ほら、モネって
光のとらえ方がすごいでしょ」
なんて口走ってみた。
すると息子が
「ママすごい。今、イヤホンで
そのこと言っていたよ。
なんでわかるの?」と尊敬のまなざし。
そのままにしておけばいいものを、
私は正直すぎた。
「だって、美術の時間に
先生がそういっていたもん」。
前で私たちの会話を聞いていたご婦人が
クスリと笑い…。
はあ。人間背伸びをするものではありません…。

でも感動しましたよ。
まだまだ心は動きましたよ。本当に。
気の利いた言葉にはならなかったけど。
間もなく同展覧会は東京を離れ、
大阪に行くそうです。
授業で習った名画揃いですから
オススメです
(って、結局美術の授業から
離れられない…)。

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このところ子どもたちの安全な日常が
脅かされている。比較的人が多い都心の、
それでいて比較的治安のいいエリアに
住んでいるのだけれど、
習い事の送り迎えをしなくては
心配なこのごろ。
子どもの自立心を妨げては…と思いつつ、
ついつい送り迎えしてしまう…。

我が家の場合、そうした安全のための
コストは、かなり高くついている。
なにしろ子どもの習い事に合わせるから、
仕事も十分にはできない。
その損失も安全のためのコストだし、
時間のないときにはタクシーを
利用せざるを得ない事だってある。
防犯ブザーはもちろん、
娘に買うなるべく肌を露出しない
地味めの洋服も、そうでないものより
割高だったりする。理由は不明だけど。

社会はもっとコストがかかる。
やれ監視カメラだ、街灯だ、
集団登校の付き添いだ!と、
それはそれは大変。

で、問題はこれらのコストを
誰が負担するのかということ。
例えば、環境税というのがあるけれど、
それは環境を脅かす財に対して、
環境を維持・回復するためのコストを
付加しようというものである。
環境税には、2ついいところがあって、
まずひとつは環境を脅かすものを
必要とする人に対して、
責任を取ってくださいよ、と直接
お金を徴収できるところ。
なんとも理にかなっている。
もうひとつは、環境税が付加されて、
買うために必要なお金が多くなると、
そこまで支払ってまでも…と、
買う人が減るという、
抑制効果があるところである。

で、考えてみた。
自然環境を守るための環境税なら、
じゃあ、社会環境を守るための
社会環境税があってもいいじゃないか!
って。
 
それで社会環境を脅かすもの、
そう有害図書や有害ビデオ、
有害サイト…に社会環境税を課して
すごく高くしちゃうのだ! 
個人がインターネット上に有害情報を
公開しても税がかかる。どうだ!

これで監視ビデオも取り付けられるし、
児童の送り迎え専門の人を雇うことも
できるかもしれない。
高額な税を払ってまで有害情報を買う人も
少ないだろうから、抑制効果もある。
完璧だ!

でも…。有害情報が子供たちの安全を、
そして社会環境を脅かしているという
証明が不十分だったりする。
有害情報だけで満足する人もいるのに…
という反論もあるだろう。
行き過ぎれば、言論の自由はおろか、
すべてが有害視されて、
この「鉄拳日記」まで税が課せられて、
そう、まるで星新一か安倍公房が
描きそうな恐怖政治の世界にまで
行きつくかもしれない!
第一、どの程度の有害情報が、
いくらの安全回復のための費用になるのかも、
数値化できるものじゃない。

こう考えると、社会環境の回復は、
自然環境の回復より、ずっと難しいこと
といえるのかもしれない。
そんな貴重な安全という資源を、
今失いつつある…というわけだ。
失ってわかる親と“環境”のありがたみ…。
親としては、子どもに危機管理教育を
するとともに、安全のためのコストを
負担し続けるしかないのかなぁー。
はぁ…(ため息)。
さてと、息子を迎えに行くとするか!

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