息子が今、国語の読解問題で悩んでいる。
特に、物語文が苦手。
典型的な男の子のパターンにはまっている( -д-)ノ
どうしたら理解できるのか…と考えて
記述を主観(心理描写)と
客観(情景描写)にわけて考えるように
提案してみた。
これで少しは
分かるようになればいいんだけど…。
ニコっとして去っていった息子よ。
おぬしの分かった笑顔に母は何度
だまされたことか。とほほ。

ところで最近思うのだが、
私たちを取り巻く言説に
実はこの主観と客観の記述が
入り混じるようになってきている。
というのは、昔は公的な文章には
主観的な記述が入り込む余地はなかった。
ところが、最近は、新聞でも
署名記事が増え、主観的な文章も
見られるようになった。
国税庁などが出すメルマガは
主観的な文章によってむしろ
おもしろく読むことがきるし、
ブログなんていうものは、
インターネットという公的な場を借りて
主観的な記述が乱れ飛ぶ場である。

こうした公的な場への主観的記述の台頭は
いわゆる私事化の一端をなすものと
考えられる。
しかし、だ。
公的な場への主観の持込みは、
時として読み手に誤解を招く。
記述者の品性や見識を問われることもある。
あきらかに「私的」であれば
読み過ごされることが
公的な看板を背負っていると
そうはいかない。

公的な場に主観が持ち込まれることは
時代の流れであるし、
受け手に興味を抱かせることにも
つながるかもしれない。
ただ、書き手はあくまでも
公的な場に私事を持ち込んでいることを
自覚し、自らを律することが
不可欠であろうと思う。
そして読み手も
どこまでが「客観的記述」であり
どこからが「主観的記述」であるのか
読み取る力もまた要求されるのである。