今日は、久しぶりに鉄拳を握り締め、
思いつくままに書いていきたいと思います。
しばしお付き合いを…。
 第3次小泉内閣が発足し、
支持率も好調のうちに「聖域なき改革」が
加速度を増してきました。
そして同時に、その“聖域”が何をさすのか、
だんだん明らかになってきたようです。
 このスローガンが掲げられた当初は、
あたかも“聖域”は、利権がからむ公共事業を
指すのではないかと推測されました。
ところが、実は社会福祉を指しているのだ
ということが、わかってきました。
先日、「障害者自立支援法」が、組閣騒ぎに
まぎれて成立。多くの議員が口にする
「社会保障費は一般会計歳出の約4分の1を
占めており、ここにメスを入れないと
財政赤字は解消しない」という意見は、
一見正論のように聞こえます。
しかしそもそも政治の役割は、何でしょうか?
国民の利害や利益を調整し、すべての国民が
平和のうちに暮らせるようにすることでは
ないのでしょうか。

 娘が統合教育の保育施設に2年間お世話になり、
障害を抱える家族を目の当たりにしました。
お金で解決できないご苦労が多い中で、
お金で解決できる部分は社会が支えなくては、
平和のうちに暮らすことは不可能な場合があります。
社会保障においてその根幹である“分かち合い”の
精神を失っては、日本はますます住みずらい国に
なってしまいます。
 ここのところ講演の機会を多く与えられる
ようになり、一段高い演台に上ると、私より
より多くの重荷を背負い、その分足腰の強くなった
人々が世の中には多くいらっしゃるのに…と、
正直恐縮しきりのところもあります。
が、私自身の出来うることとして、こうした
“分かち合い”の重要性を訴えていくことが
使命なのではないかと、年金制度を初めとする
昨今の社会保障の改悪の様子を見て、
思いを新たにしているところです。
経済は、金儲けのための学問ではありません。
貧困、不平等、不況といった社会問題に対する
経済的処方箋を考える学問なのですから。

 いわゆるニューエコノミーのもとで、
今後社会がますます2分化されていく中で、
政治レベルでも民間レベルでも“分かち合い”が
なされなくなっていったら、
どういう社会になってしまうのか。
考えると怖くなってしまいます。

 せっかく壇に登る機会を与えて
いただいているのだから、経済的なものの
考え方を子どもたちに伝え、“分かち合う”ことの
重要性を認識してもらいたい。
それは、今を生きる人への分かち合いと同時に、
環境を保護することによって未来の人との
分かち合いを考えることでもあります。
 
今行われている改革に話を戻します。
強者のための“聖域”は必要ありません。
法人税も、金持ち優遇の税制にもメスは
いれられるべきです。しかし分かち合いのための
“聖域”は必要です。こうした“聖域”を
認めない構造改革は、
政治による政治の放棄にすぎません。
私たちは、今一度構造改革の中身を、
しっかり見極める必要があるのではないでしょうか。