LINEが元で中学生とトラブルになった議員の話。

突っ込みどころは満載なのですが…

まず
中学生とトラブルになったのは「言葉」の問題。

さらにその議員が
テレビで「キモイ」と言われたことに関して
放送倫理・番組向上機構(BPO)に人権侵害を申し立てたのも
「言葉」の問題。

まずは後者のわかりやすい「キモイ」問題から考えると
「キモイ」という言葉をつかって安易に非難するのは
やはりいけないと思うのです。
言葉を生業にしているのであればなおさらです。

なぜなら「キモイ」をきちんと表現できていないからです。
中学生とのLINEのやりとりでヒートアップしてしまう幼い精神性が問題であるとか
そもそもグループをはずすとかという手法を使ってまで
なぜ中学生とLINEでつながっている必要があったのか。
あるとすれば、それは個人的な趣味やし好なのではないかとか…。
「キモイ」に含まれている問題をきちんと言葉で説明するべきだと思うのです。
そうでなければ、議論になりません。

公人だから「キモイ」といわれるのは仕方ない…というのは
言われている公人側からすれば、
仕方なく許容しているということ。

もし子どもたちに「あの人は公人だからキモイっていってもいいんだよ」といったら
子どもたちは混乱するでしょう。
「学級委員はいいの?」なんて言い出しかねません…^_^;

最近はいい大人、とりわけ言論を生業としている人も
こうした抽象的な、印象を含む言葉を乱用しがちです。

私は、「違和感がある」と言う言葉も
言論を生業としている人が使用すべきではないと思っています。

「何かおかしい」という思いを
きちんと分析し、論理的に述べるべきだと…。

では、どうして「キモイ」とか「違和感がある」といった
感覚的な言葉が流行るのか…。

それがやはりインターネットの普及に関係しているのではないかと思っています。

昔は
書かれた文章は
編集者、デスク、校閲…といろいろな人の目で検討され
活字になっていました。

でもインターネットは…
多くは書いた本人しか見ていません。
文化人のブログでも、目を覆いたくなるような
論理的に飛躍した文章を書いていることも。
でも、まあ、ブログですから
論文のように長文で書くものではないですし、
あまり注力せずに書いています…ということになのでしょう。
しかし、こうして放たれた言葉が行きかうのが、今の世の中です。

これが更に進んで
フェイスブックやましてやLINEになると
さらに注力せずに書くようになり、
また言葉も短くなります。

論理性より、即時性が求められている
メディアといえるかもしれません。
そこに必要とされるのは
自分の気分をいち早く手短に伝えてくれる
より刺激的な言葉です。

だから、そう、最初の問題
中学生とのトラブルも
感情がわきあがるとすぐに
簡単な言葉で伝えようとするから
トラブルになる、というわけです。

LINEをはじめとする
簡単な言葉のやり取りは
「キモイ」などの感覚的な言葉の温床となり
さらに私的なSNSだけでなく、公的な場でも幅を利かせるようになり
容易に人を傷つける決定打としての役割を果たすことになります。

こうした時代だからこそ、
子どもたちには
しっかりと誤解を招かないように
言葉を重ね、説明し、論理を積み上げていくという
「真剣に文章を書く」という作業を
させたいと思うのです。

インターネットを介しての発信は便利なのですけれど
誤解を招くので
私はなるべく難しいことを書かないようにしているのですが
今日はちょっと長めでした^_^;
(注:未校閲^_^;)